聖徳太子は推古天皇の11年(603年)に冠位十二階を定め、翌年(604年)に「十七条憲法」を作成し、「国家」の基礎を確立した。


日本書記には「皇太子(ひつきのみこ)、親(みずか)ら肇(はじ)めて憲法(いつくしきのり)十七条をつくりたまふ」と、太子自ら十七条憲法を作ったと記されている。

「和を尊び、争うことのないようにせよ」の第1条で始まり、「大事なことは一人で決めてはならない。必ず皆で相談するようにせよ」と終わる十七条憲法は、清明心を理想とし、私心・利己心を最も否定されるべき悪徳とした。

また偽りのないまごころを求め、よこしまで腹黒い邪悪なこころを排除しようと努めた。

日本の宗教的伝統である「和の精神」とも呼ばれる宗教的寛容性と総合性がここに現れている。聖徳太子は仏教を布教し自身も熱心な信徒・研究者でありながら、同時に「敬神の詔」を出しているように日本的宗教としての「神・仏・儒習合思想」のプライオリティだった(堺屋太一氏『日本を創った12人』PHP新書)。


敬天愛人すなわち神や仏、天を敬い、慈悲や仁の精神をもって人を愛することが建国の初めの大和時代からの伝統的精神なのである。

震災からの復興、そして憲法改正を成さなければならない今。

我々にそのような精神が求められているのではないだろうか。